生年月日 | 1973年12月9日生まれ(いて座) |
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身長・体重 | 182cm・78kg |
足のサイズ | 29cm |
血液型 | A型 |
家族構成 | 父母共にピアノの先生、3人兄弟の末子。長男は作曲家、 二男は銀行マン、そして三男の私は政治家志望と異色。 現在は、妻と、長男、次男、長女の5人家族。少子化対策には 説得力あり(?) |
座右の銘 |
「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」(吉田松陰) ⇒人は誠心誠意、真心を持って接すれば、 どんなものでも感動しないものはない |
好きな食べ物 | 炊き立てご飯とみそ汁(豆腐と大根)・そば・ラーメン |
趣味・特技 |
スポーツ(バスケ、サッカー)、ピアノ、読書
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当選 |
2007年4月、上越市選挙区において県議会議員、議会最年少で初当選 2011年4月、上越市選挙区において県議会議員二期目当選 |
学歴 |
東京都文京区誠之小学校 早稲田実業中等部 早稲田実業高等部 早稲田大学卒業 |
職歴 | 蝶理株式会社(商社) 衆議院議員細野豪志事務所政策秘書 参議院議員黒岩宇洋事務所政策秘書 新潟県議会議員2期 |
現在 | 衆議院議員 |
1997年3月大学卒業後、同年4月に「蝶理株式会社」という商社に入社。研修を経て、スーツの裏地などを扱う衣料資材部の営業補佐の役割を担当。
営業が国内外で行った売買に係る手続き処理や衣料資材の在庫管理などを行う。入社当初は毎日が充実していたが、仕事を覚え、会社組織の動きを
理解するうちに、次第に「このままでは浦島太郎になってしまうのでは!?」という危機感を感じ、辞めるなら給料と生活サイクルがまだ合わないうちが良いと判断。およそ10ヶ月で退社することを決断しました。(ちなみに私の言う浦島太郎とは、定年退職した時の自分を想像した時、会社内で歳を重ね昇進しただけで、社会や世界ではどれだけの役割を果たし年齢を重ねることができているのだろうかという疑問のこと。)
蝶理退社後、貯えとアルバイト(カラオケ、学習塾講師)で生計を立てつつ司法の勉強をしながら、「自分は何をすべきか?」という自問自答を繰り返す日々を送る中、就職活動以来続けていた新聞等情報誌の定期購読が、私に政治への道を大きく意識させるきっかけとなりました。
継続した情報収集は、私の中の「点」だった知識を次第に「線」とし、やがて「図」へと変化させていきました。すると、「日本はこのままでいいのだろうか?
国際社会において尊敬される日本にしたい。そのためにも、どうしたら日本人一人一人が活き活きと暮らるのだろうか?」という想いが自然と
湧き出してきました。これが私にとって政治を意識し始めた瞬間です。しかし、「政治家」を志すと決めたはいいものの、周りを見渡しても政界関係者など
おらず、私にとって政治とは正に雲の上の存在でした。
そして2001年2月上旬、とある方から「政治家を目指すなら、『国家Ⅰ種』、『司法試験』、『政策秘書試験』のどれかを取得するといい」というアドバイスを頂く機会がありました。
私自身、政治家の動きを間近で見ることのできる政治家秘書業に魅力を感じていたことや、試験日がなかでも直近だったことから「政策秘書試験」に焦点を当て、合格を目指し3ヶ月間必死で勉強を開始します。そして9月上旬、晴れて政策秘書の資格を取得しました。